『いらっしゃいませ、何名様ですか?』
ホールスタッフは、開口一番お客様の人数を質問するのが挨拶だ。
キッチンから見える人、人そして人。ここのコーヒーは挽きたてですらないのに。
セントラルキッチンから運ばれてくる大きな茶色いプラスチック製の容器にたっぷり入ったコーヒー。
それをコップ一杯分、一分ほど鍋に入れて強火で温めれば、お客様の舌に合うコーヒーのできあがり。
雑菌だらけの汚い布巾でコップ表面を拭き取る。お客様好みの見栄えに仕上げる。
今では、常連客の顔も覚えて、メニューを聞かれる前に仕込みを開始できる位にはなった。
学生時代にやっていた某喫茶チェーン店でのアルバイト。まさか、もう一回この光景を見られるとは。
ちょうど三年前の3月、僕は「幸せ」を卒業した。
自分なりに一家の主として全力を尽くしたと言える家庭づくりは、あっけなく終止符を打った。
不本意だが、因果応報。仕方ないことだと今は自己解決している。そうせねば生きられない。
ただ、夫婦が終わりを迎えるのは分かる。他人同士であるから、相性や価値観も異なる。
それらは一時的に同じ様に見えても、時と共に不一致となる可能性もある。
しかし、親子は別ではないか。最愛の彼らはずっと我が子だし、彼らにとっての父親はずっと私のはずだ。
かけがえのない一方的に奪い去ることが、この国では半ば容認されていると知り、当事者として絶望した。
無気力になり、あれだけ熱心に取り組んでいた前職も辞めてしまった。
連れ去りが原因で精神を病んでしまう人もいるらしい。精神科に入院していた学生時代の友人が言っていた。
それに比べれば、社会復帰できただけマシだった。飲食店の雇われ店長として、そして元妻のATMとして。
いや、愛する子ども達の為に自分ができることは、もはや今この労働くらいしか残されていない。
生きること自体が作業になっても、しばらく人は大丈夫みたいだ。
悪臭のする食洗器のフィルター、洗っていない大きいまな板、作業を求めるメニュープリンターの音。
発狂なら、もう済ませた。どうせなら少しでも美味しい珈琲を入れてやろう。どうせ‥。
その日は近くの学校で卒業式が幾つかあり、混雑した。
キッチンもフル回転。減る気配のない注文。
特に今日は、飲み物だけでなく、スナック(パンや軽食)のオーダーが多い。
パッと入口を見ると、いつもアメリカンコーヒーを頼む常連客の姿が。
発注前だったが、仕込みを始める。
オーダーも通りにくいだろうから、ホールが届ける前にキッチンから直接お持ちしよう。
彼はいつも3番テーブルに座る。
『いつも有難う御座います、アメリカンコーヒーになります。』
僕は彼の顔面を始めてまじまじと見た。
『ありがとう。』
気のせいかもしれないが、少し涙を浮かべている様に見えた。
聞かなくてもよかったが、自分が弱っているせいもあり、声を掛けてみた。
『‥どうかされましたか?』
すると、奥様が亡くなられたこと、それから仕事も上手くいかなくなったことなど、事情を話して下さった。
自分の世界を形作っている人そして人。その中には、時に救いようのない悲しみに包まれながら生きている方もいる。
『ごゆっくりなさって下さい。』
キッチンに戻って、注文をさばかなければ。
『(パパ!)』
小さい女の子の声に、思わず振り向いてしまう。
そこに、三歳の時のままの最愛の娘がいるはずもないのに。
【あとがき】
学生時代、(3)項ロ 飲食店の用途に分類される某大盛系の名古屋発祥コーヒーチェーン店にてアルバイトをした経験があります。特に混雑するのは冠婚葬祭系の催し後の軽い二次会の場所として選ばれたとき。団体で20~30名くらい押し寄せるのでキッチンが注文だらけになります。卒業式もその一つ。3月は別れの時期、それと(3)項ロ 飲食店のイメージを重ねた物語があれば、少しは記憶を助けるのではないかと思いました。