実家から出たい一心で、大学は地元の三重大学ではなく同じ東海地方に位置する静岡大学にした。
初めての一人暮らし。下宿先は大学から原付で5分程度の少し離れた共同住宅にした。その理由としては高専時代に実家と学校が近すぎてしばしば溜まり場になることがあって、それが嫌だったからだ。まぁ、そんなに友達ができるかどうか、その時点では分からなかったけれど。
5階建てのアパートだったけど、エレベーターが無かった。そのせいもあってか、506号室が空室だったので、そこに住むことにした。
思い返せば狭いワンルーム。だけど、当時はそんな1Kの狭小空間に無限大の可能性を感じていた。これから、どんな楽しいことが待ち受けているのだろう。何でもない景色が広がるベランダから、浜松の住宅街を見て胸を躍らせていた。
506号室は、階段からも一番離れていて、そのアパートで最も動線の長い部屋であった。一度住んでみて分かったことは、予想以上に階段がキツイと感じる場面があったことだ。
まず、大学でも部活はバスケットボール部に所属していたけど、時に『もう一歩も動きたくない‥』と思うくらいクタクタになることがある。そんな時に鉛の如く重い足を1階から5階まで運ぶのは酷く億劫だった。『まだ3階かよ‥』と思った日もあった。
次に、スーパーで割と大量に買い出しをした時。キャンパスの裏手に “杏林堂” という食材も豊富に揃っている薬局があって、そこで毎回1万円分位の食材を買ってストックするのが当時の生活スタイルだった。両手でギリギリ持てるレベルの荷物を506号室まで運ぶのはしんどかった。
そして、強い便意に襲われている時。あれも厄介だった。アパートまで到着すると安心してしまう。そこから5階まで便を含む肉体の位置エネルギーを上げなければならない運動が残されているのに。2階くらいまで登って、諦めようかと思った日もあった。
そんな506号室に計4年間住んだ。今思い返せば、あっという間の4年間だった。もう部屋の詳細や、そこから見えた景色も薄らぼんやりとしか思い出せない。社会人8年目の今は、6階建てのアパートの3階に住んでいる。しかも、エレベーターがついている。
もう住みたくない506号室。でも、至福の時だったなぁ。
【あとがき】
今の日本の学生ってのは「勉強する」って大義名分でモラトリアムを堪能できる特権階級。そこでサボるから社会人になって大きなツケを支払うことになるのだが、当時はそんなこと考えもせず、その瞬間を存分に楽しんでいた。わざわざ金のかかる場所に身を置き、無駄にワンルームに住む。そんな自由が許されたのも当時だけ。506号室は、その象徴だ。ついでに語呂合わせで(5)項ロと506☜『ご ろ』が共同住宅だって覚えちゃおう。